「不妊治療をもっと身近な選択にしたい」—経験を糧に、不妊治療の世界を変えようと活動するブロガーカップルが夫婦で歩む、4年半とこれから。<前編>

「不妊治療をもっと身近な選択にしたい」。
そう語ってくださったのは、約4年半にわたる妊活・不妊治療の末、顕微授精で妊娠、出産をした、こだまたくろうさん、わかこさんご夫妻。
おふたりは現在、自身の妊活・不妊治療の軌跡(ストーリー)や、不妊治療を巡る情報を綴ったブログ「ぽころぐ」で情報発信をしながら、東京の不妊治療クリニックの説明会情報サイト「pocompass」の運営やオフ会の開催、不妊・不育治療の環境改善に向けたロビーイング、不妊治療レポート投稿サービス「REPOCO」の開発、イベント・メディア出演など、不妊に関する活動を幅広く、精力的に行なわれています。
何がおふたりの原動力になっているのか。こだまさんご夫妻が歩んだ軌跡、想いを、たっぷりと伺いました。

こだまたくろう/Takuro Kodama(夫)1981年宮崎県生まれ。大学卒業後、財閥系化学品商社に勤務。現在フリーランス。

こだまわかこ/Wakako Kodama(妻)1983年東京生まれ。大学卒業後、メーカーや証券会社に勤務する傍ら、プロダンサーとしても活動。2013年より始めた妊活・不妊治療の経験から、「不妊治療を身近な選択肢に」をビジョンに掲げ、不妊治療を取り巻く環境の改善に向けて活動。

 


子どもはすぐできるだろう、と思っていた

  3年片思い、9年恋人

― まず初めに、おふたりが出会い、ご結婚するまでの経緯を教えていただけますか。

たくろう 出会いは、大学のダンスサークルです。1年生の頃に僕と友人でサークルを立ち上げて、翌年「もっと仲間がほしいな」と思い構内で勧誘したのが、妻でした。

わかこ そうなんです。それで私がすぐ彼を好きになって、3年間、片思いしてました。

たくろう 「片思いしてた」と言ってますけど、僕知らなかったんですよ。なんだったら、嫌われているかと思ってたくらいなんです。僕とだけ全然喋ってくれないから、友人にも「たくろう、絶対わっこに嫌われてるよ」って(笑)。

わかこ 恥ずかしくて喋れなかったんです(笑)。でも、私が3年生、彼が4年生になり、「これは、卒業する前に言っておかないと後悔するぞ」と思って、告白をしました。

たくろう 友人たちは騒然としてましたね、「まさか!」って。そこから付き合い始めて、結婚したのが2013年なので、9年間付き合ってたんだよね。

わかこ 一度も別れることなく、9年。今思うと長いね。

― 一度も別れることなく!9年も側にいながら結婚しなかったのには、何か理由があったのでしょうか?

たくろう 彼女は付き合い始めて割と早いタイミングで、「結婚したい」と言ってくれたんですけど、僕はその頃、仕事をがむしゃらにやっていた時期で。20代後半になって少し仕事も落ち着いた頃に、「結婚しない?」と僕から言ったら、今度は彼女の仕事が忙しくなって「今はちょっと待って」と。

そこからタイミングを逃して、結婚するまでに時間がかった感じですかね。なんだかんだ付き合いも長かったので。

わかこ でも私的には、東日本大震災はひとつ大きなきっかけになっています。
自分の人生について改めて考えた時に、「この人とちゃんと一緒にいたいな」と思いましたね。

 

  「きっと、すぐできるだろう」そう思って始めた、妊活

― 何度か結婚を考えるタイミングがあったとのことですが、どういう家庭を築きたいかなど、“家族の話”は結婚する前からされていましたか?

わかこ 付き合って4〜5年経った頃から話には出ていました。「子どもは3人くらい欲しいよね」って、名前を考えたりもして。

たくろう そうそう、お互いに三人兄弟なので「3人は欲しいね」と。だから、結婚して割とすぐに妊活を始めました。わっこが29歳、僕が30歳の時です。

でもその時は、「子どもはすぐできるだろう」と思っていたんです。僕の地元には、20代前半には結婚して、子どもがいる生活をしている友人もたくさんいたので、自分たちも当たり前のようにそうなるんだろうな、と。

わかこ 今はもう、そんな行動をしていた自分が信じられないんですけど、妊活を始めて2・3ヶ月の頃には、私、友人から旅行に誘われても断っていたんです。
すぐ子どもができると思っていたので、もし妊娠してキャンセルになったら悪いなって。

たくろう わっこ、予定すごい空けてたよね。たしか転職も考えていたけど、「転職してすぐ子どもができちゃったら申し訳ないから」って悩んだりもしてた気がする。

わかこ 当時は超ポジティブに考えていたので。母親も、姉兄夫婦も、順調に妊娠・出産していたし、「自分がまさかできないことに悩むことになる」なんて、思いもしていませんでした。

― たしかに、持病を持っていて妊娠しづらいかもしれないということが分かっていたり、周りに不妊で悩まれている方がいない限り、自分が当事者になる可能性があるとは、なかなか思えないかもしれませんね。

わかこ だから、その頃は軽い気持ちで「私、妊活してるんだ」と友人にも話していました。その中で「病院に行ったら結構すぐできるらしい」という、かなりざっくりとした情報も得たりして。

そんな情報もあったので、妊活を始めて半年くらいたってもできないな〜と思い、割と有名な総合病院に通い始めることにしたんです。

― 「すぐできるだろう」と思っていた状態から「通院をしよう」と決めるには、きっと葛藤があっただろうなと思います。

たくろう そうですね。ただ、その時はまだ僕は、“自然にできる”という感覚しかなかったので、正直「そこまでしなくてもできる」と思っていました。
たまたま何か掛け違いが悪くてできていないだけで、トライし続ければできるよと。

わかこ 私も、病院にはいくけど「私はまだ不妊ではなくて、排卵日を見てもらっているだけ」という気持ちがなんかどこかにありました。あったというか、そういう気持ちでいようとしていた、に近いかもしれないんですけど。

でも婦人科って、妊婦さんや子どもを連れた人も多くいるじゃないですか。それを見ていると、なにか得体の知れない不安に襲われることがけっこうありましたね。

 

  タイミング法で経験した、妊娠と流産

わかこ 総合病院では、まず一通り基本の不妊検査をしてもらいました。そこで、小さな漿膜下(しょうまくか)子宮筋腫は見つかったんですけど、それ以外は特に問題はなくて。ちょっと安心しつつ、タイミング法での不妊治療をスタートしたんです。

でもそこから半年くらいしても、やっぱり子どもはできなくて。そのかわりに筋腫が急激に大きくなってしまい、MRI検査を受けることになりました。
撮ってみたら、13センチ程の大きい筋腫が子宮の上にどんと乗っかっていて。これはもう取っちゃったほうがいいかもしれないね、ということで手術をしました。

たくろう 手術は無事成功して、そこからしばらく妊活はおやすみしました。3〜4ヶ月くらい休んだかな。
それでまたタイミング法を始めたら、妊娠したんだよね。総合病院に通いだして、1年半くらい経った頃でした。

わかこ でも、9週目の健診で病院へ行ったら、心臓が動いていなかったんです。そしてその後、流産手術の前に進行流産が始まってしまいました。夜中に大出血して、緊急処置になりました。

そういえばたくちゃん、私がかなり苦しい痛みを伴いながら処置をうけてる時に、廊下で仕事してたよね。

たくろう (苦笑)。当時の自分をぶん殴ってやりたくなるけど、処置室には入れないし、心配だけどできることもなくて、待合室で仕事しながら待つ、みたいなことをしていたんだよね。

看護師さんからも、「なんだ、あの旦那」と思われていたんじゃないかなと思うんですけど。今となっては随分変わったなと思いますが、でもそれくらい当時は、まだ妊活や妻の身体に起こることを自分事にできていなかったんだと思います。

当時の想いを綴ったブログ:
心拍確認後の繋留流産の経験から診察の流れを書いてみる。進行流産とその後の気持ち

 


夫婦で始めた、不妊治療ブログ「ぽころぐ」

  お金はかかるし、身体も大変、ゴールも見えない。不妊治療を取り巻く、苦しさ

― 妊活・不妊治療に取り組むにあたって、パートナーと目線を合わせたり、男性も当事者意識を持ち共に取り組む、ということの難しさがあると聞いたことがあります。

わかこ たしかに、そういうご夫婦は多いと聞きます。当の私自身も正直、あの頃は妊活や不妊治療に関する知識も全然なかったので、「夫婦で取り組むもの」という意識もあまりありませんでした。

でも、流産した時の悲しみだったり、不妊治療で感じている苦しさだったりは、全部夫にぶつけてはいましたね。それこそ、サンドバックのように。

妊活を始めた頃は「妊活しているんだ」と友人にも話せるくらいオープンだし、ポジティブだった、と先ほどお話しましたが、実は半年経ったくらいから、夫以外、誰にも話せなくなっちゃったんです。

自分が弱い人間だからなのかもしれないけど、子どもが欲しいという雰囲気も出さないようにしたし、今思うと本当に頑なに、誰にも言わなかった、言えなかった。話して、心配されるのが怖かった。
結構、心を病み始めていたと思います。

たくろう 妻は普段はあっけらかんで、よく笑うんです。でもそんな妻が、キッチンでごはんを作っている時に、突如膝から崩れ落ちて、今まで見たことないくらい泣き始めるんですよ。

わかこ “得体のしれない不安”が、どんどん大きくなっていましたね。お金はかかるし、通院も身体も大変、ゴールも見えない。それが回り回ってまた、心にのしかかって。

たくろう 本人はすごく辛かったと思いますが、僕自身は、そういう彼女の姿を見たり、思いを話してくれることで、「そうか、そんなに負荷がかかっていたんだ」と、ようやく実感を持って、分かるようになっていきました。

 

  この悩みで初めて“意思疎通”ができた。ブログを始めて、感じた思い

たくろう その頃に「ぽころぐ」を始めたんです。塞いでいる妻の気持ちが少しでも楽になったらと思い、「書いてみたら?」と誘って。

― そうなんですね。わかこさんではなく、たくろうさんの提案から始まったのはちょっと意外でした。ブログって女性の方が書いたり、読んだりしているイメージが強かったので。

わかこ 先ほどお話しした流産手術後、総合病院から不妊治療専門のクリニックへ移ることになるんですけど、私がその転院の頃から「不妊治療のブログ」をめちゃめちゃ読んでいたんですよ。

たくろう そうそう、夜もスマホをずっと見てるから「何見てるの?」って聞いたら、「ブログ」って。

わかこ それまで、不妊治療についての経験談が書かれているブログがある、ということも知らなかったんですけど、いろいろネットで検索している時に見つけて。
読んでみたらもう、共感の嵐で。泣いたり、笑ったりしながら読んでいました。

たくろう そういう妻の姿も見てたので、勧めてみたのはありますね。誰かの経験がわっこのためになってるなら、わっこも書いてみたら?って。

それで、せっかく始めるなら既存のブログサイトを使ってやるよりも、自分たちのサイトにしてみるのがいいかもと思って、手探りながらサイトを作りあげたのが「ぽころぐ」になります。

― 実際にブログを書き始めて、どうでしたか?

わかこ 夫以外の誰にも辛いと言えなくなっていた自分が、この悩みで初めて他の誰かと意思疎通ができた、と感じました。ネット上ですけど、共感してもらえたというか、あの新鮮な感覚は今でもよく覚えていますね。

たくろう ブログを書き続けていくと、どんどんコメントやDMもくるようになりました。それもかなり長文で書いてくれるんだよね。

わかこ 反響も大きくなって、交流もさせてもらうようになって。情報を発信していくことにどんどん主体的になっていきました。

 

― おふたりにとって「ブログを書く」ということが、不妊治療に取り組んでいくにあたって、ひとつ大きな柱であり、支えになっていったんですね。

たくろう そうですね。不妊治療って、「情報・共感・記録」がすごく大事だと思うんです。この3つのトライアングルがあって、前に進んでいける。

でも実際は、情報がありすぎてどれを信じていいのか分からなかったり、不妊治療当事者が繋がれるような場もなかなかないので、共感したい、共感してほしいという気持ちはあるけれど、仲間がいない孤独感を抱えてしまう。
記録もきちんとしておかないと、また新しい情報に出合った時に取捨選択ができなくなります。

それで、これは後々気づいたことなんですけど、ブログってまさにそのトライアングル全てがあったんですよね。

わかこ 家庭内でどちらかがブログを書くと、まずは相手に記事を読んでもらう習慣ができていたんですけど、それが夫婦で話す時間にもなって。そこからチーム感みたいなものができた気もするよね。

たくろう 書く時にお互い調べるじゃないですか、そこで「この薬はこれくらいの量で本当にいいのかな」「このことは、今度クリニック行った時に相談してみよう」みたいな話をしていました。
今思い返してみると、それがそのまま作戦会議になっていたのかもしれません。

― なるほど、そうなんですね。ちなみにもうひとつ、ブログに関してぜひお聞きしたいなと思っていたことがあるのですが、わかこさんに「やってみたら?」と声をかけるだけではなくて、たくろうさんご自身も書かれていますよね。なぜ自分自身も書き手に回ろうと思われたんですか?

たくろう 当時は男性で治療ブログを書いている人って、ほとんどいなかったんです。だから、「精液検査」とネットで調べてみても、リアルな体験談みたいなものはひとつも出てこなくて。

そこで「じゃあ、僕が書けばいいか」と思って、自分でも書いてみることにしたのがきっかけだと思います。

わかこ 奥さんがその記事を読んで、旦那さんに「これ見て」と進めることもできるかな、とも思ったんだよね。

たくろう そうそう。実際男性からDMをいただくこともあるんですけど、「奥さんに読めと言われて…」というコメントから始まるものも多いんです。

実はぽころぐで一番読まれているのも、精液検査の記事なんですよ。

精液検査についてたくろうさんが執筆した記事:
精液検査初体験の感想① それは突然やって来た…

取材・文 / 三輪 ひかり、写真 / 望月 小夜加、会場提供 / RE:PUBLIC INC.


9年純愛からの結婚、「子どもはすぐできるだろう」と当たり前に信じていたこだま夫妻に立ちはだかった「妊活の沼」。「まだ不妊ではない」との思いを抱いたまま、足を踏み入れた不妊治療の世界に、ふたりは翻弄されていくことになります。そんなふたりの大きな転機となる、「ブログ」との出会い。続く<後編>では、そこから出産までの道のりと、4年半の不妊治療経験を経て本格的に立ち上げたさまざまな活動について、語っていただきます。当事者目線で、不妊治療の「あったらいいな」を生み出し続けるおふたりの原動力となる思いと、現在の心境とはー。

<後編>はこちら!

 


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