「日本のリプロダクティブ・ヘルス/ライツを改善したい。」4回流産、3回化学流産の絶望を希望に変えて、不妊・不育治療の環境改善に挑みつづける<前編>

「女性が本来持っている権利や守られるべき健康が、きちんと保証される世界に変えていきたい。」ー そう語ってくださったのは、不育症で4度の流産、3度の化学流産を経験し、着床前診断、体外受精を経て出産されたmihoさん。

mihoさんは現在、「不妊・不育治療の環境改善を目指す当事者の会」のメンバーとして、不妊治療当事者の声を集めたり、国会議員と面会したり、ご自身のSNSで情報を発信するなどの活動を行っています。mihoさんが書いたnote「8回目の妊娠までの話」は、SNS上でも大きな反響がありました。

mihoさんが改善に取り組みたいと語る「リプロダクティブ・ヘルツ/ライツ」は、日本語では「性と生殖に関する健康と権利」と訳されます。リプロダクティブ・ヘルスとは、人々の生殖・性にまつわる健康が生涯にわたり守られ、身体的、精神的、社会的に良好な状態であることを指し、これを享受する権利をリプロダクティブ・ライツといいます。

繰り返される流産経験を経てこの国の医療に「深く絶望した」と語るmihoさんは、どのように今の活動にたどり着いたのでしょうか。出産までの道のりと今の活動に至った経緯について、夫のオトメンさんとともに語っていただきました。

miho 1988年大阪生まれ。転勤族の両親のもと、日本、アメリカ、イギリスで育つ。大学卒業後、会社員として働く傍ら、妊活・不妊治療を取り巻く環境の改善に向けて活動中。

オトメン 1987年イギリス生まれ。大学院卒業後、IT企業に勤務。2016年より日本在住。

 


学生時代の友人同士、9年の遠距離恋愛を経て結婚

  遠く離れた英国の地で「一人の人間として接してくれた彼」を好きに

ー ご結婚するまでの経緯を教えていただけますか。

miho 親の仕事の都合で、中学から高校の6年間はイギリスに住んでいて、夫はその時の同級生だったんです。国際結婚だと「六本木のbarで出会ったの?」とか言われがちなんですけど(笑)、よくある学生時代の友人との結婚で。それがたまたま外国人とだった、という感じです。

オトメン 中学の卒業イベントで、僕が一目惚れしたんだよね。mihoは信じてくれないんだけど。

miho だって、他に好きな人いるって聞いていたから。それに私は、その時は全然異性として見ていなかったんです。

私たちが住んでいたイギリスの田舎には、東アジア人がほとんどいなかったので、差別は避けられませんでした。夫とは、数学のクラスで仲良くなったんですが、そこでは私以外が全員男子。むき出しの男子校トークに人間不信になりそうでしたが、でもそんな中、唯一アジア人としてでもなく、女としてでもなく、一人の人間として接してくれたのが彼で、それで好きになりました。ここまでフラットに人と関われる人がいるんだなって。

ーそれでお付き合いすることに。

miho それが彼はアメリカに留学するのと、私は日本に帰るのが決まっていたので、どうせ卒業とともに別れなくちゃいけないし…と思って、お互いのことが気になりつつも、付きあわなかったんです。

でも、もうどうしても好き、先のことは考えずにお互い好きなんだから付き合っちゃおうって、結局、高校を卒業する6週間前にお付き合いが始まって。

お別れは、卒業パーティーの夜でした。二人っきりでドレスとタキシードのまま芝生に寝っ転がりながら、「まだ18歳だし、結婚は考えられないよね。でも、嫌いになったわけじゃないし、縁が切れてしまうのはイヤだから、お互い新しい環境に慣れるまでメンタルサポートはし続けない?」と、連絡を取り続けることにして。

形としては1回別れたものの、そこから9年遠距離恋愛をしました。

ー9年も。そこから「結婚したいね」と、日本に一緒に住むことを決めたんですか?

miho 結婚する、もしくは結婚しなくても一緒には住みたいよね、という話は早くからしていました。イギリスでは事実婚も珍しくないので。

住む場所は、彼が「mihoはイギリスと日本の両方を知っているけど、僕は日本のことを知らない。一生のパートナーになるなら、少なくとも何年かは君の国に住んで、言葉も少しは喋れるようになりたい」って言ってくれて。それで、日本で暮らすことに決めました。

 


「当たり前に」思っていた、家族の形。高すぎた出産のハードル

  医者の言葉に傷ついた流産と、働くことと産むことでの葛藤

ーお二人の中で、家族をつくることについてはどのようなお話をされてきたんですか?

miho 実は、家族の形についてはあまり深く考えてなかったんです。それこそよくある、「子ども二人欲しいね。男女一人ずつ欲しいね」みたいな感じで。

オトメン 僕も恵まれた家族で育ったし、子どもが二人いて…みたいなベーシックな家族像を思い描いてたかな。

miho だからあの頃は、子どもも当たり前のように授かるものと、本当に軽い気持ちで考えてたよね。

ー当たり前のように子どもを授かると思っていた、とのことですが、ご結婚してすぐお子さんのことは考えはじめたんですか?

miho ずっと遠距離を経ての結婚だったので、妊活を始めたのは結婚から1年以上経った27歳でした。そうしたら、すぐ自然妊娠して。

1回で妊娠するとは思っていなかったので、仕事もバリバリしていました。海外出張もよくあって。でも、すぐ妊娠したし、経過も順調だったので、「海外出張をキャンセルするまでもないよね」と思って、出張にもそのまま行きました。

でも帰国して数日後に、流産してしまったんです。

原因はわかりません。確率でいうと、元々染色体異常がある受精卵だった可能性が高かったとは思います。でも「出張に行ったのがよくなかったのでしょうか?」とお医者さんに聞いたら、「そうだね」と言われて。すごくショックだった。

SNSでもよく目にするんですけど、「初期の流産はよくあることだから」って、医師からすごく軽く見られている感じがしました。

ー初期流産はそこまで珍しいことではないからといって、その辛さや悲しさが薄れるものではありませんよね。

miho そうなんです。週数で言うと7週だったので本当に妊娠初期でしたが、妊活を1年お休みするくらい、初めての流産は私にとって、とても重い出来事でした。

その後妊活を再開したら、またすぐ妊娠はしました。でも、再び流産してしまいました。

当時は28歳でしたが、どうしようかと悩みました。というのも、 自分の理想としては、妊娠・出産が無事にできたら、そこで一旦育休に入って、そのあとまた転職も含めてキャリアを積み上げていこうと思っていたんです。でも、2回流産してしまって、妊娠・出産はコントロールできないことを改めて思い知らされました。

ー妊娠・出産をするとなると、一度キャリアをストップすることになる。出産するタイミングを悩む女性は多いように思います。

miho その時は、結局また妊活はお休みして、転職活動に力をいれることにしました。そこから1年後に再び妊活を再開して、3度目の流産を経験します。

ご夫婦の妊活・不妊治療歴(mihoさん作成)

 

  なかなかたどり着けない、不育症検査

miho 実は、2回目の流産のあとにいろいろと調べるうちに、「不育症(※注1)」という言葉を知りました。

それで、当時かかっていた産婦人科医に「不育症の検査をしたい」とお願いしました。でも、「2回の流産はよくあることだし、あなたまだ若いんだから。それに検査したってどうせ原因不明で、高額だしする意味がない」と言われ、紹介状を書いてもらえませんでした。

私もそこまで知識があったわけじゃないので、そんなものなのかと思ってしまって。それで、3回目の妊娠と流産。すごく辛かったし、自分のことを責めました。自分の行動にも非があったんじゃないか、あの時なんでもっと食い下がって、紹介状書いてくださいって言わなかったんだろう、って。

ー自分のことを責めてしまう。mihoさんのその時の気持ちを想像しただけで、胸が張り裂けそうです。

miho 3回目の流産のあとに、ようやく不育症の検査をしたら、やっぱりいろいろと数値が引っかかりました。AMH(※注2)も、40代相当で。自分はまだ20代だしって甘く考えてたけど、全然余裕ないじゃんって。なんで2回目の流産の後にすぐ検査しなかったんだろうと、また自分を責めました。

それに、 医師のことも信じられなくなっていきました。「若いからまだ大丈夫だよ。検査もいらない」と励ます言葉が、結果的にどれもマイナスにしか働かなかったので。誰も守ってくれないんだと、それもすごく辛かった。

また、この時の検査で、私が「PCS症候群保因者」というすごく珍しい染色体の病気であることがわかりました。まだあまり解明されていない病気、かつ私の場合は保因者なので普段はそれが表にはでないんですけど、どうやらそれが受精時に、受精卵の染色体の数の異常を起こして、初期段階での流産が起きていたんじゃないかということでした。

それで、染色体の数が正常ではないものをあらかじめスクリーニングすることが有効なのではないかと、「着床前診断」(※注3)を考えるようになりました。

(※注1)不育症:妊娠をするものの、2回以上の流産や死産、早期新生児死亡などを繰り返すこと
(※注2)AMH:アンチミューラリアンホルモン(または抗ミュラー管ホルモン)の略で、発育過程にある卵胞から分泌されるホルモンのこと。AMHの値は、卵巣内にどれぐらい卵の数が残っているか、つまり卵巣の予備能がどれほどかを反映すると考えられている。
(※注3)着床前診断:体外で受精させた胚の染色体や遺伝子の検査を行うこと。通常は染色体異常のある胚をスクリーニングし、正常な受精卵を選んで子宮に戻すために行われる。

 

  「5回流産してから考えれば?」

ーでも、そこにも壁があったわけですね。

miho そうなんです。その時点(2018年)での着床前診断は、臨床研究の前段階の「パイロット試験」下にあり、「35歳から42歳まで」という年齢要件を含め、日本では今以上にごく一部の、条件に合う人だけが実施できるもので。遺伝カウンセラーの医師からは、「あなたは対象者の要件に当てはまらないので、日本では現状できません」と言われました。

「ただ、着床前診断については今も議論はしていて、世界では行なっている国も多いし、いずれ日本でも解禁する方向に向かっている。だからそれも待ちつつ、確率論を考えたら、少なくても5回流産するまでは自然妊娠にトライすればいいんじゃないですか?」とも言われて。

その先生が言っていた確率論は、理屈としてはわかりました。でも自分の頭の中には「5回流産してから考えれば」という言葉がすごく残って。1回流産しただけでもあんなに苦しくて、2回目の流産の時には一度鬱状態にもなったのに、そんなこと言う?と。

 


それでも妊活を続けられた理由。「夫の支えがなかったら、成り立たなかった」

  夫婦の会話を通して自身の感情と向き合い、一つひとつ頭を整理していった

ーそのような状態で、それでも「妊活をやめよう」とはお二人の中でならなかったのでしょうか?

miho それはなかったですね。まだ何の治療もしていないのに、諦められなかったんです。しかも、他の国ではできるけど、日本ではできないと言われて。不妊治療大国なのに?と、どうしても納得できませんでした。

それに、夫婦で常に同じ方向を向いていたことも大きかったと思います。本当にたくさん話を聞いてもらったし、話し合ってきたよね。

オトメン そうだね。 一番努めていたことは、とにかくよく彼女の話を聞くことでした。自分の経験からも、モヤモヤを話せず抱え込んでしまって動けなくなるというのは、最悪の事態のひとつだと思っていたので。

もしかしたら何の助けにもならないかもしれないし、その状況を変えられるわけではなくても、彼女自身の理解者に話すことは、感情を吐き出して気持ちを楽にすると思っていました。

miho 彼はそれが本当に上手で。私は長女だし、プライドも高いほうなので、夫であろうと、大親友であろうと、弱みを100パーセント言葉にするのが苦手でした。彼は、そんな私がうまく言葉にできないことに対して、「今、mihoはこう思ってる?」とよく聞いてくれるんですけど、その推測もめちゃめちゃあててくるし。それってなんでできるの?

オトメン わからないけど、時間をかけることかな。ただ推測するのではなくて、ちゃんと話を聞くこと。けっこう難しいことだけどね、話を聞いて、それに集中するということ。黙って聞いているだけじゃなくて、ちゃんとそこに参加していることを示すことを心がけていました。

あとは、不確かなことがあれば質問する。「これ、どういう意味?」「これはどう?」とか。質問をすることで、聞き手が会話に参加しているという表明にもなるし、話し手が質問への回答を考えることで、自分の感情を吐き出して整理できることもあると思うから。

miho たしかに 夫と話すことで、一人で悶々と考えていてもクリアにならなかったことが、整理できた気がします。都度都度ちゃんと話を聞いて受け止めてくれる人がいなかったら、その後の治療は続けられなかったと思っています。

 

  「mihoは僕の妻。愛を誓い、一生一緒にいたいと思っているパートナーがつらい時には、僕はただ横で聞きたい」

ー 「どうして私ばかりこんなに辛いし、がんばらなくちゃいけないの」、というような気持ちがmihoさんの中に生まれてもおかしくない状況だったのではないか、と思ったのですが。

miho それが、ないんですよ。むしろ、検査で引っかかるのは妻側の項目ばかりだったので、夫は他の人と結婚していたら、すんなり子どもを授かれただろうにと、彼への申し訳なさが募っていきました。

そんな時も彼が私の表情とかから察して、「なにか溜め込んでいるんじゃない?」と、私が話しやすいように、先に一言投げかけてくれていたんです。プロのカウンセラー顔負けの聞き上手でした。

でもそうは言っても、吐き出せるようになればなるほど夫に聞いてもらうばっかりだし、私はどんどんうじうじしていって。自分でも「こんな私でいたいわけじゃない」と思うような自分だったから、どうして彼は、受け止められたのかな?って。

オトメン 僕が人生の中で大事にしてきたことの一つに、「Loyalty(忠誠心)を持つ」ということがあるんです。友達や家族に対しては僕はいつでも味方だし、なんでもしてあげたいと思う。

特に、mihoは僕の妻であり、一生一緒にいることを誓って、一生一緒にいたいと思う人だから、誰よりも強くLoyaltyがある。

結婚式の誓いでも、「病める時も健やかなる時も、死が二人を分かつまで」って言うでしょう?人生は、いい時もあればうまくいかない時もあります。相手がつらい思いをしている時もある。そんな時に、逃げたりはしません。愛を誓ったパートナーがつらい時には、僕は横で話を聞きたいなと思うんです。

mihoは僕によく「どうして?」と聞くけれど、僕にとってはとてもシンプルな話なんです。自分が「そうしたい」と思ったことを誓い、それを実践しているだけです。

取材・文/三輪ひかり、写真/本人提供


不育症で4度の流産、3度の化学流産を経験し、一児の母となったmihoさん。ここまでの<前編>では、妊娠を望む中で立ちはだかった幾つもの壁や感じた思い、その過程で築き上げていったパートナーシップのあり方について、克明にお話しいただきました。

続く<後編>では、また新たに直面した着床前診断というハードルと体外受精へのステップ、そして、出産に至るまでの一連の経験で感じた違和感から動き始めたmihoさんの、次なるチャレンジについてお聞きしていきます。


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