「あなたには自分で歩ける力がある。」働きながらの死産経験を糧に、働く天使ママのコミュ二ティを立ち上げたふたりが今、伝えたいこと<前編>

「働く天使ママに、“あなたは独りじゃないし、自分で歩ける力がある”と伝えたい」ー。

妊娠18週で人工死産となり、うつ病を発症した藤川奈央さん。妊娠6週での流産、29週で早産と死産、15週での人工死産を経験した星野よしみさん。企業に勤めながら、死産という大きな喪失を経験したおふたりは、そう想いを語ってくれました。

今も癒えることのない痛みとともに歩み続けるおふたりは、2021年6月、ペリネイタルロス(流産・死産・新生児死亡・人工妊娠中絶等、お産をとりまく赤ちゃんの喪失)を経験した働く女性=「働く天使ママ」のコミュニティ、「iKizuku(イキヅク)」を立ち上げました。

『UMU』でも「働きながらの流産・死産」三部作<前編><中編><後編>にて、働く天使ママを取り巻く環境や実態を深掘りし、社会全体でこのテーマに取り組んでいく必要性を強く感じていた中、今回のおふたりの勇気と行動力にとても感銘を受け、希望を感じています。

働く天使ママが社会から孤立せず、自分の人生を歩んでいくために、社会は、私たちは、なにができるのか。ふたりの喪失体験と活動への想いから、紐解いていきます。

星野よしみさん(左)、藤川奈央さん(右)

藤川奈央/Nao Fujikawa 1983年生まれ、神奈川県出身の会社員。2017年に妊娠18週で早期前期破水により第一子を死産。死産後のメンタル不調に苦しみながら2019年に第二子を出産。同じような経験をした人の役に立ちたいと、育休中にSNSで自身の経験や情報の発信を開始。グリーフケアやメンタルヘルスを学びながら当事者との交流を深め、2021年に赤ちゃんとのお別れをした働く女性のサポートコミュニティ「iKizuku」を設立。時短勤務のワーママとしても奮闘中。グリーフケア・アドバイザー2級(2020年)

星野よしみ/Yoshimi Hoshino 1985年生まれ、東京都出身の会社員。2016年~2019年の間に流産、死産、早産を経験。特に、死産後の職場復帰・キャリア・働き方等に悩む中、当事者と繋がりたいという思いから「#働く天使ママ」のハッシュタグを作りSNSで発信。とある自助グループのお話会で藤川と出会い意気投合し、2021年に赤ちゃんとお別れした働く女性のサポートコミュニティ「iKizuku」を設立。フルタイムで働きながら、育児とライフワークに向けて挑戦中。社会福祉士(2009年)、グリーフ専門士BASIC(2021年)

 


お腹の中で息絶えた命、それぞれの喪失体験

  流産、早産と死産、人工死産……押し寄せる十月十日の試練

ー妊娠から死産に至るまで、おふたりそれぞれの経緯を教えていただけますか。

星野  結婚後すぐに子どもがほしいと思っていたんですが、1年経ってもできなかったので、早めに不妊治療専門のクリニックに通い始めたんです。身近な知り合いが不妊治療をしていたこともあって、妊娠できることは当たり前じゃない、とは思っていました。

ですけど、今すべてを振り返っても、妊娠してから出産するまでの十月十日にもこんなにたくさんの試練があるなんて。想定外でした。この世界に一つの命を生み出すことは本当に大変なことで、奇跡だ、と感じています。

最初に経験したのは初期流産でした。不妊治療後に妊娠をしたんですが、心拍を確認できた段階で流産になってしまって。

人生で初めて命とお別れする体験だったのでつらかったですけど、自分が妊娠できる体なんだとわかったことは嬉しくもあって。2週間の休みをもらって職場復帰してからは、いい意味で仕事に打ち込むことで、悲しみを紛らわすこともできました。仕事もやりがいがあって楽しかったので。

ーその後、不妊治療を再開されたのでしょうか。

星野  はい。それで流産から5ヶ月後に一卵性の双子を妊娠したんです。でも妊娠14週頃から、ふたりの体重に差が出始めてしまって。

その状態を改善するために16週にFLPという手術(双胎児に送る血液不均衡の原因となる胎盤吻合血管を、レーザーで凝固する手術)を受けたんですが、22週6日で発育良好だった子の羊膜から破水してしまい、羊水がない状態に。

安定期と言われる妊娠中期からずっと入院していました。想像していたマタニティライフとは全然違いましたよ。

そこから27週で発育不良だった子の方の容態が悪化して、ふたりとも助からないかもしれないけど今すぐ出産するか、一児に何があってももう一児を守るために28週まで待つか、選択を迫られまして。

どれだけ考えても答えが出せず疲れ果てて、早朝に「あなたの好きにして」と心の中で我が子に伝え、少しだけ眠りにつき目覚めた日の午前の回診で、一児が、子宮内で亡くなっていることがわかりました。罪悪感と悲しみが押し寄せたけど、エコーを見たら生きている子がパクパク口を動かしていて。

自分の命と引き換えにこの子の命をつないでくれた、亡くなった子のためにも、できる限りお腹の中で育てようと自分を奮い立たせ、ひたすら病院のベッドで安静に過ごしていました。

その後30週目前で(生産期は37週〜41週まで)、絨毛膜羊膜炎になり炎症が起きてしまったので、これ以上妊娠は継続できないということで、ふたりを出産しました。

ー一人は早産、一人は死産で迎えられた双子の出産……。どんなお気持ちでしたか?

星野   一人は産声を上げなかったけれど、私はふたりを産んだ母なんですね。これまで双子の母として妊娠生活を送ってきたのに、たしかにふたり産んだのに、目の前には一人しかいない。

生きて生まれた子はすぐNICUに入ったんですが、容態が安定してきて喜びたいはずなのに、現実には、一つしかない保育器を前にぼろぼろ涙が溢れてきたことを覚えています。

ここで、絶対安静で寝たきりだった妊婦生活から、3時間ごとに搾乳をしてNICUに届ける生活へ。あまりの変化に心がついていかず、現実の時間軸から自分だけが取り残されているような感覚もありました。

退院後も、娘は2ヶ月以上早く生まれたので、「何ヶ月?」と社交辞令のように聞かれても何と答えていいかわからず、児童館や子育て支援センターにも行けなくて。一人っ子の母として振る舞う自分が、亡くなった子の存在を否定しているようで、それにも申し訳なくて。

早く小さく生まれた子に対しても、亡くなった子に対しても、いつも「ごめん」と謝っていました。ああ、今話をしていても当時を振り返るとまだ涙が出ちゃう。すみません。

ーそうですよね……大丈夫です。

星野  その後も1年くらいはずっと葛藤がありました。双子のママなのに、双子のママじゃない。一人は火葬したところで時間が止まって思い出が紡がれなくなって、もう一人はどんどん成長して思い出が積み重なっていく。

家族を含む周囲でも、時を重ねるごとに、亡くなった子はこの世界に「いない」ことにされてしまうことがやるせなくて。

「いる」娘には、「あなたには妹がいるんだよ」って事あるごとに伝えていて。ふたつの命が確かに存在した証として、二人の出生体重の重さのクマのぬいぐるみを部屋に飾っているのですが、彼女はそれで時々楽しそうに遊んでいます。

ー目に見えない姉妹の絆を感じるエピソードですね。

星野  はい。そして、その後私は、人工死産も経験することになるんです。双子の一人を亡くし、一人っ子の母となった現実がつらくて、不妊治療を再開しての妊娠でした。しかし、2回目の健診でお腹の子に先天的な障がいが見つかり、お腹の外では生きることができない子だということがわかりました。

流産と死産を経験したし、もう次は無事に生まれてくれるだろうと思っていたんですが、現実は甘くはなかった。「なんでまた私が!?」ってさすがに神様を恨みました。

望んだわけでもないのに、15週で自ら同意書にサインをして、人工死産を選択しなくちゃいけない。つらいのに、生きている娘の子育てもあったし、仕事の引継ぎもあったし、悲しみに暮れる暇もなく入院の日を迎えました。

退院後は、会社の制度を必死に調べて、12週以降の流産・死産でも産休を8週取れることを知って休ませてもらいましたが、仕事復帰のタイミングも含めて職場にどう伝えるかは悩ましかったです。

 

  死産からうつ病の発症、失くした記憶。連なる「喪失」

ーここで藤川さんにも、妊娠から死産の経験を振り返っていただけたらと思います。

藤川  まず前提として、私は当時のことについてのほとんどの記憶を失っているんです。死産のショックからうつ病を発症し、記憶力が低下。さらに、うつ病の治療として受けた修正型電気けいれん療法の副作用が原因だと思われる、記憶喪失になってしまって。

記憶喪失なんてドラマの中だけの話だと思われるかもしれませんが、実際、死産の少し前から次の子を出産してしばらく経つまでの間の、ほとんどの記憶がないんです。なので、当時つけていた日記や家族の話から、復元した記録をもとにお話させていただきます。

ーなんと、そうでしたか。死産は藤川さんにとってそれほど大きな喪失体験だったんですね。

藤川  これまでは基本的に何でも「努力次第、努力すれば何とかなる」と思って生きてきたのですが、そんな私の人生での初の挫折というか、初めて「自分の努力ではどうにもならないこと」に直面した出来事でした。

妊娠17週で破水して切迫流産となり、母体も危険で赤ちゃんも助からないということから、18週で人工死産となってしまった。子宮内感染によるもので防ぎようがなかったようですが、自分を責めたし、余計なことをたくさん考えてしまって。

当時の私は妊娠=出産だと当たり前のように思っていて、死産は悪いこと、自分のせいだという意識が強かったんです。かつ、グリーフ(一般的には「悲嘆(深い悲しみ)」と訳される言葉で、大切な人やものを失ったときに起きる身体上・精神上のさまざまな反応)やメンタルヘルスに関する知識や対処のノウハウを、一切持ち合わせていませんでした。

自分のことは自分で手綱を握っていたい性格なのに、なんとかしたいともがいてもどうにもできず、そんな現実が不安で恐ろしく、これからやってくる未来にも自信や希望が持てなくなり、ただただ怖くて、適切な対処もできず、うつ病を発症してしまった。

死産のことが頭から離れない、自分を責める気持ちが止まらない、「今後の人生はきっとうまく行かない」と全てのことが不安になる、寝られない食べられない…と、一連の心身の影響が出て、コントロールできなくなってしまった結果でした。

それが、仕事やその後の妊娠出産にも、影響を及ぼすことになってしまったんです。

手元に残る、最後のエコー写真

ー仕事や次のお子さんの出産には、どんな影響があったのでしょう?

藤川  死産後8週間の産後休暇を取って職場復帰をしたんですが、10日後にうつ病と診断されて、傷病休暇を取ることに。本格的に仕事復帰したのは、死産から5ヶ月後でした。

復帰したはいいものの、難しいことが考えられず座っているのがやっとという状態で、簡単な業務・サポート業務に変更してもらい、時短勤務にしてもらったんです。死産以前は残業もいとわずバリバリ前線で働いていたので、大きな落差があって、焦りや戸惑いもありました。

死産から約1年半年後に長男となる息子を出産したんですが、亡くなった子の死産経験のトラウマが、今回の妊娠が引き金となって蘇り、うつ病が悪化してしまって。精神科に入院するまでになってしまいました。

そのまま出産を迎え、その後も入院して治療をしていたため、出産後3ヶ月間は息子とも離れ離れ。その後、修正型電気けいれん療法を受けて記憶がほぼ完全に失われてしまい、息子を産んだことさえ覚えていませんでした。

精神科から退院し、自宅の部屋に置かれた娘の骨壺を見て「これは何?」と夫に聞いたことで、自分が記憶を失っていたことを知るという状況でした。

ー「死産」という言葉だけでは語りきれない、喪失体験ですね……。

藤川  私の場合、死産という大きな喪失が連なるようにして、他のさまざまな喪失を引き起こしてしまったんです。

死産という子どもの喪失、母親という役割の喪失、子どもとの未来の喪失。うつ病による健康の喪失、バリバリ働いていた自分や職場での役割の喪失、死産をした娘と次の息子の妊娠出産という大切な記憶や過去の喪失。家族の説得もあり、その後の妊娠を諦めることになった喪失……。

「自分」そのものを、失った感覚もありました。

その後数年をかけて、「自分」を取り戻していきましたが、事前にもっと正しい知識や情報に触れる機会があれば、こんなにショックを受けることはなく、うつ病も防げたんじゃないかという後悔もありました。

 


タブー視され、情報もなく職場の理解も進まない。働く天使ママが抱える課題

  キャリア含め「自分」を見失った。周囲の人の目には映らない「私」の葛藤

ーおふたりともそれぞれ、大きな喪失、グリーフをご経験された。しかも企業に働きながら。喪失・グリーフとともにありながら仕事をしていくうえで、どんな困難がありましたか?

星野  人工死産後は、仮面をつけて会社に行っているようでした。心は悲しくて回復途上なのに、平気なふりをして働いている。社会人として私情を仕事に持ち込んではいけないと思っていたけど、働くこと自体がしんどかった。

なんとか耐えていたけれど、職場復帰から3ヶ月後、本来の出産予定日が近づいたときに一気に悲しみが押し寄せてきて。そこから、私は一体なんのために働いているんだろうって、キャリアややりたいことを含む「自分」が見えなくなっちゃいました。

藤川  私も自分を見失いましたね。これまでは「私」は一人だったんですが、死産と出産を経験してからは「会社員の私」、「母親である私」、「天使ママの私」、「うつ病の私」、「記憶を失った私」 ……と、自分がバラバラになっちゃった感覚があるんです。

会社でもプライベートでも、死産のことや病気のこと、記憶を失ったことはほんの一部の人にしか伝えていないので、小さな嘘を重ねることになってしまい、自分の中での辻褄が合わなくなっていきました。

例えば、会社のキャリア面談でも、働く人の環境を整えていく人事の仕事に興味があると伝えてみたものの、その理由には自分の死産やうつ病の経験があるけれど、本音を話せない。

相手側に、死産や精神的な病気に対する偏見があるんじゃないか、話したところで理解されないんじゃないかという恐怖もあって、取り繕った言葉を並べるしかなくて。いまだにモヤモヤを感じています。

ー仕事と子育ての両立は目に見える課題ですが、「喪失体験やグリーフ」と仕事の両立、となると周囲からは見えず気づいてももらえず、当事者は助けを求めようにも、結果どんどん孤立してしまうという現状がありますよね。

星野  はい。喪失を抱えながらどうキャリアを考えていけばいいのか。出産前と同じような気持ちや時間の使い方では働けず、成果を出せていないことへの焦りもあるわけです。

そんな状況下で、働きながら死産を経験した先輩たちはどうしてきたのか。情報を得たかったのに、メディアでもSNSでも見つけられなかったんですね。

無事に産めた人の情報は溢れているのに、なんで産めなかった人の情報はないんだろう? って。あったとしても、当時の悲しみを共有するものばかりで、その後の職場復帰やキャリアデザインの話には触れられていない。

もう少し未来の見える、一歩先を進む先輩たちの話を聞きたかった。そこから、働きながら死産を経験した当事者とつながりたくて、SNSで「#働く天使ママ」というハッシュタグをつけて投稿を始めたんです。

 

  自分の経験を書き出してSNSで発信。当事者とつながることで見えたこと

ー星野さんだけではなくおふたりともInstagramやブログなどで、ご自身の経験や葛藤について発信をされています。始めたきっかけや発信することで起きた変化について、教えていただけますか?

藤川  私は失くした記憶、自分を取り戻したくて、日記や家族の話、LINEでのやりとりを振り返って文章にまとめ、当時の記録を残したんですが、せっかくなら誰かの役に立てたらと思いブログで発信を始めました。私自身が死産のときに天使ママのブログに助けられたので。

自分に起きたことを知り、テキストにまとめて発信していくことは結果的に、自分の傷を癒すグリーフワーク(グリーフを受け入れ、喪失後の人生に適応していくプロセス)になりました。

星野  私は先ほどもお話ししたように、当事者とつながりたいという思いで発信を始めて。今感じるモヤモヤや自分の気持ちを発信することで、自分が経験したことを客観的に振り返ることにもなりました。

最初は振り返る度に涙が溢れてしんどかったんですけど、次第に、あの時の経験があったから今の自分がある、と思えるようになりました。

結果、奈央さんをはじめとした働く天使ママの当事者とつながることができ、みんなモヤモヤを抱えながら働いているんだなと、気持ちも楽になりました。

ー自ら体験したことを書き出して、SNSで発信し、当事者とつながることがおふたりにとってのグリーフワークになっていたんですね。おふたりの出会いはSNSを通じてですか?

星野  Instagramでつながっていて、その後ある自助グループのお話し会で初めて実際に会って、意気投合した感じです。

そこから、定期的にオンラインで意見交換をしていて、働く天使ママに対する同じ課題感を共有していたので、何かできないか、と少しずつ動き出したんです。

ーその出会いと共感が、iKizukuの活動につながっていった。おふたりは働く天使ママの状況にどんな課題意識を持っていたのでしょう?

星野  企業でも妊娠出産、子どもを生み育てることへの情報や制度はある程度整っているけれど、無事に産むところに辿りつけなかった人へのサポートが、すっぽりと抜け落ちてしまっているなと。

ペリネイタルロスに関しては、企業に限らず社会全体としても、正しい知識や情報を得られる機会があまりに少ない。それは、以前の私もおそらくその一人でしたが、当事者も周囲の人たちも、触れてはいけないタブーなものとして捉えていることの影響が大きいのかな、と思っています。

藤川  妊娠出産やペリネイタルロスだけでなく、グリーフケアやメンタルヘルスについての知識も必要だと思っています。

私自身、事前に知っていたら、うつ病になるほどショックを受けなかったと思うし、必要な対処ができたとも思うので。自分たちが経験した負の遺産を、後輩たちに残したくないんです。

星野  死産後に働き始めて、なんでがんばれないんだろう、どうしてこんなに涙が出るんだろう、っていろんな感情をこじらせていたけど、「グリーフの反応だから大丈夫だよ」って今ならわかる。

周囲の人たちにも察してもらうことはできないから、伝えるべきことはちゃんと伝えればよかったのかもしれない、とも。

でもそもそも、当事者が安心して事情を伝えられるようになるためには、周囲の人たちも知識をつけて、理解をする姿勢が組織内で醸成されていくことが、大前提にあるべきではないかと思うんですね。

取材・文/徳 瑠里香、写真/本人提供、協力/高山美穂


働きながら死産を経験したふたりは、自分の想いを書き出しSNSで発信、当事者同士がつながることで、「働く天使ママ」の課題感を共有。自身の大きな喪失、深い悲しみを起点に社会に目を向けて、動き出しました。

続く<後編>では、おふたりが立ち上げた、働く天使ママの自助コミュニティ「iKizuku」の活動内容や、目指す社会についてのお話をうかがいます。

※働く天使ママの自助コミュニティ「iKizuku」
Webサイト>i-kizuku.amebaownd.com/

 


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