「子どもがいる人生を送るチャンスを、挑戦せず諦めたくない」39歳、子を持つ人生を描いていなかったパートナーと、結婚前に不妊治療へ踏み切った理由とは。

「年齢的なタイムリミットが近づき、子どものいる人生、いない人生を自分で決められずに、なし崩し的に進んで行くのは嫌でした。子どもがいる人生の可能性に少なくともトライはしてみたい、と自分の中で気持ちが固まったタイミングで、すぐクリニックの説明会へ参加しました。」

そう語るのは、その後夫となるパートナーと籍を入れる前から不妊治療に取り組み、現在第一子を妊娠中の菊池芽生さん。20~30代前半まで仕事に邁進していた彼女が人生を共にする人に出会ったのは、38歳の時。時間的ショートカットの必要性を感じ、不妊治療を開始するとともに、婚前からパートナーとの話し合いも深めてきました。

現在の日本で、生殖医療の対象となるのは婚姻夫婦があくまで前提であり、婚前からの不妊治療は一般的な選択ではありません。

菊池さんは、自身の経験から、婚姻関係にかかわらず「子どもを欲しい」と意思決定した時にすぐ治療に取り掛かれるよう社会の理解が広がって欲しい、また仕事を継続しながら不妊治療に通いやすくなって欲しいという想いについて、語ってくださいました。その時の苦悩や葛藤、社会への想いをnoteにも綴るなどの活動もされています。

女性がもっと自分の体のことや送りたい人生プランを踏まえた上で、子どもを持つ、持たない道を自由に選択できるようになるには、社会がどう変わっていく必要があるのか。菊池さんとパートナーの辿った道のりから、一緒に考えていきたいと思います。

菊池 芽生/Mebuki Kikuchi  東京都出身40歳。大学卒業後、外資系IT企業に入社。2012年、スペイン バルセロナにて経営学修士(MBA)取得。卒業後は外資系EC企業のデジタルコンテンツ事業の立ち上げに参画し、企画、海外進出支援などを実施。その後日系IT企業にて、日・米・アジアとの事業開発案件を担当し、頻繁に海外出張をこなす日々を送る。2020年よりデザインコンサル企業に出向しつつ、両社のジョイントベンチャーであるGV株式会社の立ち上げを牽引。趣味は旅行とダンス。キューバでサルサダンスを習ったり、刺繍ドレスを買い付けにメキシコまで飛んだり、ローカルの文化と人に触れる旅が好き。2021年、自営業の夫と結婚。現在は神奈川県逗子市に移住し、妊婦生活満喫中。

 


子どものいる人生を、タイムリミットが理由で諦めたくない

  グローバルなキャリア形成のために、妊活を考えられなかった30代前半まで

―まず始めに、菊池さんが社会に出てから、のちに夫となるパートナーさんに出会うまでの人生、お仕事について教えてください。

外資系IT企業で7年営業として勤務後、グローバルのキャリアを積むためにMBAへ海外留学しました。MBAでは、2年経営を学びました。その後、31歳で日本へ帰国。

日本に戻ってからは、どうキャリアを積み上げていくか、ここからが勝負という感覚がありました。戻ってからは外資系EC企業に入り、35歳になると日系IT企業への転職。本社で事業開発周りの仕事に就くことになりました。

―もともと、結婚前から子どもは欲しいと考えていたのでしょうか?描いていたライフプランなどもあればお聞かせください。

結婚はいいなと思う方がいればしたいし、子どもは出来たら欲しいとはずっと考えていました。
ただ、20代から30代前半はMBAとその後のキャリア形成に全力投球で、その頃の結婚、妊娠出産は考えられず、でも漠然と35歳くらいまでには…と思っていました。

ところが、35歳で転職した会社で36~37歳頃に海外で駐在するかもという話があり、この時はまだお付き合いしている人はいなかったものの「私はいつ結婚し、子どもを産むの?」と、改めて女性の幸せについて意識が向くようになったんです。

この頃は自分の将来に不安を感じるあまり、人生について周囲の友人によく相談もしていましたね。でも結局、相談しても「なるようにしかならない」という結論しか得られず、途方に暮れましたけど(笑)。

―ここまで本当に主体的、戦略的にご自身の人生を切り開いて来たという印象を受けますが、そんな菊池さんであっても、将来については途方に暮れるような不安感があったんですね。

はい。今振り返ると私自身、キャリアと自分の人生設計について考えながらも、常に仕事やキャリアを優先させてきた人生でした。

とくに私は海外で仕事したり、自分の物理的なロケーションが動くことも多かったので、昔から「実際、ここに旦那さんや子どもがいたら生活はどうなるんだろう?」という、正解のない問いをずっと抱えてきたんです。
今まで真正面から向き合うことを後回しにしてきたテーマだけど、このまま私は諦めていいのか、とも思うようになり……。

でもその頃、今から3年前になりますが、夫となるパートナーと出会うことになります。彼は私と同じEC関係の仕事をしており、人生観、お互いに大切にしている部分が似通っているので話が合いました。

彼は自営業という職業柄、転勤などの不安もなく、私も働き続けやすいことから結婚後の生活イメージが抱きやすいと感じました。私は、この人とならこれから先の生活を想像できると思い、やがて「彼と、今後も一緒に過ごしていきたい」と思うようになりました。

スペイン バルセロナにて経営学修士(MBA)を取得

 

  「子どもを産み、育てる」か否か。パートナーと話し合いへ

―菊池さんのおっしゃるように、人生観、価値観が合うのは、一緒に長く生活する上で重要ですよね。パートナーさんも、菊池さんと同じようにいずれは結婚し、子どものいるライフスタイルを求めていたのでしょうか?

当初の彼は、私と共に過ごすことは考えていたようですが、どうやら結婚や子どもを持つことまでは考えていなかったみたいです。

交際して1年以上してもプロポーズしてくれなかったので、私の方から「今後のことはどう考えているの?」と、ついしびれを切らして聞いてしまったこともありましたが、彼としては「別に結婚しなくても、このままでいいんじゃない?」というスタンスでしたね。

そもそも、彼はサラリーマンを辞めて、自分の好きなペースで仲間と仕事したいという想いがあって独立した人です。自分の時間は大事と考えている人だったのもあります。
また私から「子どもについてはどう考えているの?」と尋ねた時には、「もし、子どもを持つとなると、今の生活スタイルは守れるの?芽生はその覚悟はあるの?」と尋ね返されたこともありました。

私も彼も、それまで築いてきた生活のペースやスタイルがそれぞれありましたから、そこをどれだけ汲みながらどうやったら一緒の未来を描くことができるのか、という対話が始まりました。

―パートナーさんはもともと結婚や子どもを積極的に考えていなかったとのことで、それは簡単ではないハードルだったと思うのですが、なぜその中でも菊池さんは、妊活を始めようと考えたのでしょうか?結婚前からの妊活や不妊治療に舵を切ったことについて、何かきっかけはありましたか?

その理由やきっかけは本当にシンプルで、私の年齢を考えた時に「妊活について真剣に考えるべきタイミングは今だ」と思ったんです。

私自身、そもそもずっと仕事、仕事で来ていましたし、正直「どうしても子どもが欲しくてたまらない」という訳ではありませんでした。ただ、それでも母親になりたい気持ちは漠然としてあったし、積極的に「子どものいない人生を選ぶ」というほど意思が明確に定まっている訳でもありませんでした。

年齢的なタイムリミットも含めると、このまま妊活に対して挑戦せずに、なし崩し的に自分の未来が決まって行くのは嫌だという心の葛藤がありました。子どもを作る挑戦をするのか、それとも諦めるのか。

私自身が、今意思決定しなければと思うようになったのと、彼となら結婚して子どもを産むことをトライしたいと思う気持ちが重なったことから、次第に彼と妊活について話し合いをするようになりました。

―パートナーさんとはどんな相談をして、具体的にどのように妊活への協力を求めましたか?パートナーさんの反応はいかがでしたか?

彼とちゃんと話し合いを始めたのは、付き合って1年半くらいの頃だったと思います。
ですが、もともと子どもを積極的に求めている人ではなかったので、再び「子どもどうする?」と尋ねても「俺は、「子どものいる人生」を具体的に考えたことは今までなかったからなぁ…」という反応で。

私はそこで、その彼のスタンスを尊重しながらも同時に、「私は、妊活にトライしたい。結果がどうなるかわからないけど、トライもしないで人生が進んでいくのは嫌だ」と本気の気持ちを伝えるところから、歩み寄りを進めました。

改めてヒアリングしていく中で、彼の気が進まなかったのは、自分のライフスタイルが崩れることへの不安だけではなく、子育てのお金のことや、不妊治療に対する不安が根本にあることも見えて来ました。
なので、まずは彼のそうした不安をなくすために、情報収集から始めることにしました。

―具体的にはどんな情報収集をされたのでしょうか?

まず、お金の不安に関しては、フィナンシャル・プランナーに子どもが出来た後の家計状況についてシミュレーションしてもらい、必要なお金をデータで見える化しました。

ここが自分のビジネス脳の部分なのかもしれませんが、私としては漠然とお金の不安を抱くのではなく、具体的にデータで見える化した上で、子育ての出来る出来ないを判断したかったんです。
そして、お金の面に関しては、私たちはお互いに年齢もある程度高かったし、これまでの貯蓄もあることを考えた上で「なんとか大丈夫なのではないか」という結論に至りました。

不妊治療については、私の年齢的にも外せないと思っていたので、不妊治療クリニックの勉強会に参加してどんな治療や検査をするかについても情報を集め、彼に伝えていました。これについても漠然とした不安を抱えるより、何がどれだけ大変なのか、情報を集めたり、プロに相談して明確にした方が良いと考えていたからです。

そうした作業や話し合いを行いながら、並行して、最初は別々に住んでいたのを、今後一緒に住む場所についても検討し始めました。

一つ一つ現実の懸念点をクリアしていく中で、最終的には彼が私の気持ちを尊重し、治療に踏み切ることに同意してくれました。結婚前にも関わらず勉強会に一緒に参加してくれたり、私の気持ちに寄り添ってくれた彼には、とても感謝しています。

 

  結婚前から、不妊治療スタートを決意

―いよいよ、将来に向けてのお2人の足並みが揃ってきたわけですね。この時点でまだお2人は独身同士だったという理解ですが、結婚前からの病院探しはスムーズに進みましたか?他にも、婚姻関係になかったために直面したハードル、感じたことなどがあれば教えていただけますと幸いです。

私が当時住んでいた場所は世田谷ですが、実際に調べてみたら、婚姻関係がなくても同意書さえあれば治療を受けられる病院が多かったので、その点はとくに問題なくスムーズに決まりました。

説明会を受けに行った先の病院の医師にも、念のため「婚姻がないと、治療は受けられないのですか?」と直接確認したら、「今はいろんな形のカップルがいますので、同意書さえあれば大丈夫ですよ」と言っていただけたのは大変うれしかったです。

その先生からはまず、「とりあえず、検査だけでも受けた方がいいよ」とアドバイスをいただきました。
先生は「不妊治療は長々とするのではなく、1年で結果を出すものだと思っています」とも話されていて、私自身もやるなら短期決戦で行きたいと考えていたので、ほとんど迷わずにその病院で検査、治療をスタートしようと決めました。

ただ、私たちのように未入籍でのケースで、もっと大事になるのは当人同士の気持ちだと私は思っています。
彼から、もし「やっぱり、子どもを作ることに同意はできない」「子どものいる人生は考えられない」と話をされてしまったら、おそらく私は治療を止めていました。

これは婚姻夫婦においてももちろんだと思いますが、婚前の不妊治療でも、2人が一緒に子どもを育てる意思があるかどうか、相互に確認できていることが一番大切だと感じています。

そのため、流石に本格的な治療をスタートともなると婚姻や子育ての意思を改めて明確にしておかなければならないと思い、「子どもができたら、2人で育てる覚悟はお互いにあるよね?」と、言語化し対話していきました。お互いにその気持ちがなければ前に進めるべきではないし、それは、子どもを授かることよりも大切なことだと感じていたからです。

また、ここまでのプロセスを通して私の方も「仮に子どもを授からなくても、この人と一緒に生きていこう」と、改めて強く思うに至りました。その結果、結婚の意思を確認し合い、その翌年の5月に籍を入れると決めました。

近年、フランスや他の国では事実婚をされているカップルも増えていますが、日本でいざ子どもを育てるとなると、婚姻関係があった方が私は育てやすいと思ったので、籍を入れるという選択にしました。

諸々の状況と準備があり、すぐに籍を入れる状況にはなかったので、独身同士であることは変わらずでしたが、実質的には婚約状態になってから治療をスタートさせました。

―最初はどのステップから始められたのでしょうか?

まずは検査から入り、人工授精、体外受精へと徐々にステップアップしていきました。

治療開始年の10月中旬に検査が進んでいき、年内は検査で終わってしまったため、本格的な治療は次の年からになりました。検査の後に1回ほどタイミングを取る妊活を行い、その後人工授精を4〜5回ほど行った後で体外受精に進みましたね。

―不妊治療じたいはスムーズに進みましたか?

検査や人工授精の最初のうちは、正直金銭的にも身体的にもそこまで苦ではなかったです。最初のうちは、ホルモン注射でちょっと体がだるくなる程度で、お金もそこまでかからなかったので。

ただ、人工授精3〜4回目頃には次のステップである体外受精に対してプレッシャーを感じるようになり、徐々に焦りを感じるようになりました。私自身「痛い」ものが苦手なため、体外受精にステップアップした時に採卵、自己注射をするのも怖かったです。

また、ちょうど人工授精から体外受精に入るタイミングに、並行で探していた新居が見つかりすぐさま引っ越し、クリニックも転院したので、とても忙しかったですね。
その引っ越しがもともと入籍を予定していた5月で、結果的に5月半ば、40歳で入籍。そのすぐ後に引っ越し、元のクリニックに紹介状をお願いして転院、というハードスケジュールでした。

転院先にはこれまでのデータや紹介状も一式渡してあったものの、追加項目の検査やカウンセリングを改めて受ける必要がありました。その待ち時間などの間に一回人工授精を挟み、7月後半からようやく体外受精へステップアップしました。

そこではじめての自己注射など、戸惑うこともたくさんありましたね。自己注射は自宅で3本、他にも通院時にお尻、肩にも打たれかなりキツかったですね…。

そこから採卵、移植に進みましたが、医師の話によると、一般に10個ほど卵が取れ、そのうち5個受精し、3〜4個戻せるケースが多いと事前説明を受けていたものの、私が実際採卵できたのは、なんとたったの2個。
その時は、流石に「受精卵もできず、戻すことすらできないのでは?」と落ち込みました。

ただ幸いその2個とも受精し、お腹に戻した1つ目の受精卵で妊娠することができました。

残り1つの受精卵は、凍結して保存しています。医師からは、採卵は3回くらい必要かもと言われていたので、1回で済んだのは助かりましたね。

 

  自分に課した「治療期間は1年」という、意思決定の期限

―実際に治療を経験してみて特に大変だったことは、どんなことでしたか?

私の場合、ホルモン注射や通院のための時間捻出がとても大変でした。
また、ちょうど仕事のスランプ時期とも重なり、精神的にダウンしていきましたね。「仕事も治療もこんなに努力しているのに、どうして上手くいかないの?」と、一度凄く落ち込んでしまった時もあって。

治療を始めた最初期の頃は、看護師さんが気を使って「万が一、生理が来てしまったら……」とフォローしてくれたりするのに対し、実際妊娠する方が確率も低いのに「そこまで気を使わなくてもいいのに」などと、比較的冷静でいられていたんですが。

そんな私でもやはり、人工授精を何度か重ねても治療の結果が思うように進まないことで、辛さが増して行ったのを覚えています。

それと、私は痛いのが本当に苦手なので、辛い時や痛い時は口に出して負の感情を発散していました。
採卵の時は、痛さに耐えきれなくて思わず「痛い!痛い!」と叫んでしまいました。あまりに私が大きな声で叫んでいたので、採卵待ちで待機中の他の患者さんたちを怖がらせてしまったかもしれません……。

以上のような辛いこともたくさんありましたが、かたや、治療期間に1年の期限を設け、そこを区切りとしようと臨んでいたため、幸い、どん底まで落ちずに自分をギリギリで保てていたように思います。

―なぜ、期限を設けようと思ったのでしょうか?

もし、1年の期間中に治療が上手くいかず、子どもを授からなければ、「子どものいない人生について真剣に考えよう」と思っていたからです。

子どものいる人生、いない人生で人生設計は大きく変わりますし、そもそも不妊治療で最も難しいポイントって「どこで治療を辞めるか」というところだと思うので、始めから期限は決めた方がいいと感じていました。

ただ、そうは思いつつも、今回たまたま体外受精に進んでから比較的スムーズに結果が出ましたが、もし上手くいっていなかったらその時どうしていたかについては、正直に言って自分でもわかりませんね。

―そうですよね…。そこの決断は、実際本当に難しいところだと思います。お仕事と不妊治療の両立という面ではいかがでしたか?大変でしたでしょうか?

私がもともと時間の融通がきく仕事をしていたのと、不妊治療を始めた頃はコロナでリモートワークが主流になってきた頃だったので、治療には比較的通いやすかったと思います。

職場の仲間には、大切なプレゼンの日と採卵日とが重なる可能性があったので、事前に不妊治療していることを打ち明けていました。割とオープンに話すことができていたので、周囲の理解を得られやすかったのは大きいことでしたね。

しかし、採卵日は体の具合で直前に決まるので、予定を事前に組めないのが本当に大変でした。

それでも幸い私は管理職という立場上、スケジュールを決めやすい方だったのですが、仮に自分で決められない立場だったとしたら、不妊治療と仕事の両方をハンドリングすることが大変難しい気がします。治療と仕事の両立ができなくて、結局仕事を辞めてしまうという話も、実際よく耳にしますので……。

―菊池さん自身、管理職として部下を多く抱える立場上、会社の組織として他の女性たちが治療に通いやすくなるには、どのような工夫があるといいと感じていますか?

難しい問題ですよね…。不妊治療に通うという理由が職場の人に言えず、やむなく頻繁に休暇届を出してしまうという話もよく伺っています。

オフィスワークの場合であれば、もっとテレワークやリモートワークが増えるなど、フレキシブルな働き方が当たり前になると時間の融通がきいて、どんな立場の方でも治療と仕事の両立がしやすくなるのではないでしょうか。

また、私自身の経験上思うこととしては、いざという時に融通がききやすくなるように、できるうちにがっつり仕事をして職場の人たちと信頼関係を築いておくことも大事で、後々活きてくる気がします。

出張先のインド

 


第一子妊娠。経験から今、思うこと

  つわり、保活と連続する苦悩

―そこから現在妊娠中とのことですが、今の状況はいかがでしょうか?

今は保活が大変です。先日まではつわりもあり、仕事と生活との両立も苦労しました。つわりが終わった瞬間に保活を始めたのですが、全く決まらず……。

私が今住む街は東京からの移住者が多く、市の規模も決して大きくないので保育園がなかなか決まりません。出産後できるだけ早く仕事に戻りたいのですが、どうやって戻ればいいのか不安を抱えています。

産みどきの検討から妊活に始まり、妊娠・出産後までずっと課題や考えることが連続していて…。女性が働き続けるって本当に大変なのだと改めて実感しました。
その一連の経験や不安な気持ちを整理すべく、noteに綴り続けています。

―菊池さんのnoteには、妊活や不妊治療に関するご自身の体験も含め、実体験がかなり赤裸々に綴られていますね。

そうですね。人のためというよりその時見てきたこと、考えたこと、感じた不安など気持ちの変化について、自分自身が振り返るための記録として残してあります。

妊娠出産にまつわるプロセスはこれまでしたことのない経験だし、もしかしたら一生に一度の体験になるかもしれないと思ったので。時間が過ぎてしまうと、その時の葛藤を忘れてしまう気がしたのもありますね。
海外留学をした頃も記録を残したいと思っていたのですが、その頃はまだ日々に精一杯で結局何もできず後悔したため、今回こそは残しておきたいと思ったんです。

―凍結卵を1つ残してあるということですが、現在2人目治療については考えていますか?

私が出産する頃には41歳ですし、今の段階では2人目を考えていません。今回つわりが本当にしんどかったので、また同じ経験をすると思うと正直自信がないんです。

ただ、とはいえ出産後に自分がどんな心境になるかわからないし、気持ちの変化を知りたかったので、凍結卵は廃棄せずに残してあります。

 

  「歯医者行ってきます」くらいの感覚で、不妊治療が受け入れられる職場へ

―菊池さんがお仕事としても責任ある立場を担われる中で、ご自身の体験を踏まえて「女性の働き方、生き方」と「産みどき」や「産む/産まない」「不妊治療する/しない」などについて、このテーマ全体について思うことやお考えなどがあれば、ぜひお聞かせください。

自分の体のことを知る機会が増えたり、不妊治療についての情報がもっと若い頃から、正しく共有される世の中になって欲しいです。

とくに妊活や不妊治療に関しては、夫婦で取り組む必要があるので男性にも情報が共有されたらいいなと思います。
私の夫も、説明会に参加するまで、卵子が年齢と共に減るということを知らず、妊娠出産のリミットがあるということもピンときていない様子だったので、男女が共に自分の体のことや、妊活について学べるようになったらいいなと感じます。

また、年齢にかかわらず人によって妊娠しづらいなどの体質もあるので、自分の体について把握できるようなシステムができたらいいなと思います。たとえば、健康診断の項目に、不妊の検査項目が入っていれば、早いうちから自分の体を知った上で産む産まないを考えられる気がします。

もし不妊治療するなら年齢が上がるほど難しくなると思うので、躊躇せず、先に進んだ方がいいとも思います。

私自身は以前から婦人科で定期的に自分の体を診てもらう習慣があり、それはとても良かったなと思っているのですが、みんなが自分の体を理解した上で、人生を主体的に選択できるような仕組み作りが進むことを願っています。
また、今現在産む前からの保活に苦労しているので、妊娠中や産後も含め、女性が働きやすい環境が包括的に整うことを望みます。

―色々なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。最後に、一連の経験を振り返り今思うことや、読者や社会に伝えたいことなどがあれば教えていただけると幸いです。

一般的には、結婚してある程度の時間が経過し、子どもが思うように授からないとか、体に不安を感じた時に不妊治療クリニックへ通うという流れがあると思うのですが、私の場合は年齢のこともあるし、ステップを順序良く踏んでいく時間もありませんでした。

とはいえ、病院のことなど色々調べていくと、必ずしも婚姻関係が整っていなくても不妊治療にアクセスする手段はあることがわかったので、その選択があることはもっと世間的にも認知されるといいなと思います。

あとは、不妊治療は待ち時間がとてもかかるので、待ち時間に自由に仕事ができたり、もっと動き回れるようになるような環境が整うといいなと思います。

クリニックに通っていた頃、自分も含めパソコンを持って仕事をしている女性が大半だったのが衝撃でした。
病院となると体調が悪い方が通っているイメージがあったのですが、全然思っていたのと空気が違ったのでビックリしたとともに、治療と仕事との両立に一生懸命なのは自分だけじゃないんだ、という気持ちで胸がいっぱいになりました。

―確かに、待ち時間のロスが活かせるようになると、もっと時間の融通がきくようになり、多くの女性が仕事と不妊治療の両立がしやすくなりそうですね。

そうですね。まだ今は、日常生活の中に病院がないからこそ、通院しようすると休暇届を出さなければならない風潮があり、通院と仕事の両立をより難しくしているように思います。

仕事面においても「デスクに座って仕事をするのが価値」というより、結果が出ていればいつどこにいても良い、というフレキシブルな流れがもっと進んでいくといい気がしています。
接客業など働き方によっては難しいかもしれませんが、オフィスワークであれば工夫さえすれば出来るのではないかと。

そもそも、不妊治療は組織側の受け入れ態勢がなければ、なかなか女性側から言いづらいことだとも感じます。
たとえば「今から、歯医者に行ってきます」というくらいの感覚で不妊治療に通えるような職場が増えると、当事者も治療しながら仕事を続けられやすいのではないのでしょうか。

会社側でも、「女性は、ある程度の年齢になれば多くの人が検査や治療に通っているよね」という認識が当たり前になれば、当事者が仕事時間に抜けざるを得ず、会社がそれに困惑するという悪循環も減らせるように思います。
少なくとも私は、治療と仕事を両輪で進めたいという女性がいれば積極的に相談に応じたいです。

ジャストアイデアですがオフィス街の中にある不妊治療クリニックが増えて、待ち時間に自分のオフィスで仕事ができたり、またはクリニックが併設されたシェアオフィスがあってもいいでしょうし。

仕事や生活の中に当たり前のように病院が入り込み、個々人の多様な事情も理解されるようになっていけば、仕事をしながら通院しやすい世の中が社会全体でもっと進むと思います。

私自身もまさに経験者として、そしてマネジメントに携わる者としても、後に続く人たちのためにできることを、これからも取り組んで行きたいと思っています。

取材・文 / みくまゆたん、写真 / 秋月武(マタニティフォト撮影)および本人提供、協力 / 高山美穂


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